第8回公判 弁護側証人尋問
〜その7〜

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7月14日の第8回公判で弁護側証人として登場したのは、リベラル系の憲法学者の番人とも言うべき人物、奥平康弘氏だった。
証言台に立つ奥平氏は、とにかく早口で、矢継ぎ早に言葉を繰り出す。
しかも細密な言葉のニュアンスにこだわってあちこちに話を飛躍させて語るので、聞いている側にとっても実に難解で長大で学者的な答弁になる。
にもかかわらず、その飄々とした、達観したような語り口は、それが時にユーモラスだったりもする。
なにより彼の一言一言には、頑迷なまでの信念すら垣間見ることができる。 そういう信念から発せられた言葉は何故かしら霊力を帯びるものだ。

今年で74歳になる、そのほとんどを憲法に捧げてきた老学者の言葉を、なるべく忠実に伝える。



弁護人:弁護人の岡本から伺います。証人はいつからいつまで東大社会科学研究所教授でしたか?

証人:教授というポジションに就いたのが1974年の4月です。そして定年退職によってその職を退いたのが1990年の3月です。


弁護人:その後の主な職歴は何ですか?

証人:その後すぐ、国際基督教大学に教授として就任し、そこには8年ほどいました。それで定年まぎわに退職したのですが、ちょっとした事情で、それから3年間、神奈川大学短期大学で客員教授、それは昨年の3月で終了しました。


弁護人:すべての教職を退かれたわけですか?

証人:はい、そうです。


弁護人:先生の著書は、この証人尋問用資料の著書の欄に書かれているもので間違いないでしょうか。

証人:結構です。


弁護人:それでは、刑法175条の関係についてお尋ねします。戦前は、わいせつ出版物の取締法規として、どんなものがありましたか?

証人:刑法175条が後景にありましたけれども、基本的構造といたしましては、出版物のうち、定期刊行物的なものは新聞紙法により、いわゆる単行本的なものは出版法で、いずれも法の取締の体系として考えられていたのは、事後処罰、刑事罰としての制裁ではなく、行政処分、しかも内務大臣の名前によって発売頒布禁止処分をすることが許され、実態的には、内務省の警保局が判断し処分を行ないます。大きく2つしか理由はないんですけれども、1つは、「国家の安全、公共の秩序」といいましょうか、当時は「国家安寧」という言葉を使っていましたが、それに反するかどうか、もう1つは、「よき風俗を壊乱する」かどうかという、この2つのカテゴリーに従って処分が行われました。

 1回処分が行われると、それは誠に一刀両断であって、問答無用といいましょうか、処分それ自身に対しては、行政裁判も、行政上の不服申立てもできない構造になっていましたので、それで処分は終わりということになっていて、それで、それが前面に出ていたわけです。


弁護人:そうすると、現実に出版市場で販売されているわいせつ文書を刑法1、75条で処罰するということは少なかったわけですね?

証人:少なかったというか、法体系上それはあり得ないと言っちゃ語弊がありますけれども、ほとんど生じない、少なくとも9割方、もっと多くは、市場に出る前、あるいは市場に出た途端に、行政処分でもって、先ほどお話ししたように、権力的に処理されるということになっていました。


弁護人:戦後、出版法、新聞紙法が廃止された理由は何でしょうか?

証人:今お話ししているような出版法及び新聞紙法の体系、システムと、それ自身が持っている法的欠陥が、戦後憲法のいわゆる21条で言われる表現の自由に体系的に合致しないということがあり、そして、もし取締りがあるとするならば、事後処罰による裁判所の判定による取締りしか許されないだろうという英米法的な考え方が前提になって、この2つの法律は廃止されてしまうわけです。

 その法体系が、憲法の表現の自由とどのように抵触していたかということは、非常にその当時は深く突き詰めていなかったと思いますけれども、基本的なことは、相対立する当事者の討論で決定するというのではなく、絶対的に国家が判定し、そのもの自体の価値を否定するという法の構え、法の持っている基本的精神というものがあったのが、システムとしてそれは憲法21条(表現の自由)との関係で、両立し得ないというふうになったわけです。


弁護人:新聞紙法、出版法の廃止に伴い、公刊された、出版市場で販売される書物や定期刊行物に対しても、刑法175条のわいせつ文書規制が及ぶ可能性が出てきたわけですね?

証人:そうです。


弁護人:戦後、新憲法下で初めて刑法175条の合憲性が争われている事件が、1957年3月の「チャタレー裁判」でしょうか?

証人:そうです。


弁護人:この事件の弁護人の上告趣意には、「刑法175条自体が違憲だという抽象的違憲論」と、「刑法175条を当該事件に適用するのが違憲であるという具体的違憲論」とがありましたが、最高裁はこの論点にどのように答えたんでしょうか?

証人:今の御質問にお答えする前に、僕としてはお話ししておくべきだと思う前提があります。それは、刑法が前面に出るようになって、刑法で規制することになったということとの関係で、いわゆる刑法改正の1項目で175条の法定刑罰則が強められることになった。これは、それまでほとんどマイナーな犯罪形態だと考えていたところのものが、出版法と新聞紙法が無くなることによって、刑法175条が出ることになって、法定刑が重くなったという変化があり、そしてその後、その変化を内容的にどう受け止めるか、形式論とは別に、どのように受け止めるかという議論がないままで、チャタレー裁判になった。

 それはどういうことかというと、刑法は、法定刑において改正されながらも、実際に、その後、戦後しばらくの間は、戦後の特別な文化環境といいましょうか、情報環境といいましょうか、カストリ雑誌等に限って行われ、それらのものは略式裁判等で、まともに裁判の過程で、「わいせつとは何か?」「わいせつを取り締まるということはどういう問題か?」「それは憲法から見てどうか?」という問題を問わざるを得ない客観的条件があった。

 ところが1950年に「チャタレー夫人の恋人」という、今で言えば世界文学史的に最高傑作の1つと考えられているローレンスの書物が起訴され、175条違反だということを初めて問われることとあいまって、1950年の段階で初めてこれが憲法問題かどうかということを問われ、57年に最高裁判所の判決に立ち至ったということになり、その時点において最高裁判所がどれだけ憲法に適合的な地点に立って判断したかということになると、裁判官がどれだけ表現の自由ということについて深刻に受け止めていたかがよく分からない状況の中で、判決が下されたという印象を持っております。

 弁護人は憲法論というものを2つに分けたけれども、最高裁判所は、憲法論を二分するということ自体に対して、必ずしも適合的ではなかった。というのは、最高裁判所の構えは175条が合憲かどうかという法条自体の合憲性の問題で、そこで合憲判断を下せば法条自体は憲法に違反しないというまず大前提に立ち、そうだとすれば、刑法175条の構成要件がどうのこうのとかいったような、総じて刑法175条が持っている法的意義の問題は、どのような基準で適用するかといったようなことを含め、175条の法的構成物はすべて憲法問題ではないというふうに切ってしまったということであると思います。


弁護人:そうすると「具体的に適用することが違憲かどうか?」は違憲の問題にならなくて、単なる法律解釈の問題であると片付けてしまったということでしょうか?

証人:ええ。そういう処理方法を取ってしかるべきであるというのが、最高裁判所のチャタレー判決の考えだったと言って間違いじゃないと思います。


弁護人:法条自体が合憲だという判断を導くに当たって、どのような理由で合憲だとしたんでしょうか?

証人:50年代までは「表現の自由も含めたあらゆる基本的人権は公共の福祉によって制限される」という第一命題があって「これこれしかじかのことは公共の福祉に反するかどうか?」という問題になったときに、先ほどお話ししたように、最高裁判所は抽象的なレベルで憲法判断をしていますから、「175条は合憲である、なぜならば公共の福祉だ」と言って、公共の福祉の中身というものにある程度の概説をしたとしても、そして、それで公共の福祉に適合的だから175条は憲法に違反しないという構えを取ったということが後々まで問題になるわけです。

 「公共の福祉によってすべての基本的人権は制約される」というふうに考えることの問題としては、「公共の福祉とは何か?」という問題が突き詰めて考えられないままで、公共の福祉という大命題、それは、かなり何でも説明できるような大命題が前面に出ていたということが1つ。もう1つの側面は、「規制することによって、どのような不利益が市民に対して与えられるか?」「被告人の行為によって出版された出版物等を、関心を持って読む人たちの利益をどうするか?」という、市民側の対抗的な利益をどう考えるかという、いわゆる「対立する利益の比較」ということを無しで済ませる時代の判決であったということです。


弁護人:公共の福祉を最高裁のように人権外在的な制約原理として捉え、人権を一般的に制約する考え方に対して、学会はどのような反応を示したんでしょうか?

証人:結局、学会だけじゃなくて法曹界も含めて、あるいは市民が期待したというものは、「表現の自由はどのような問題領域にあるか?」ということは、個々の裁判を通じて裁判所が判断するという仕組みができたということ、いわゆる憲法81条に基づく司法審査が成立することによって、司法審査の中で、事後的に制裁を加える中で、表現の自由の具体的な中身というものが判定できるというふうなことを期待したわけですけれども、今お話ししたような「公共の福祉論」でいきますと、公共の福祉というのは何でも説明できそれが優先するとなれば、それに対抗する価値がもともと負けてしまうものであれば、これはもう憲法論でないということになってしまう。それは、結局のところ明治憲法下の遺制であるということで、基本的人権を制約することが憲法上いいのかどうかということを議論することが、60年代の初期あたりから憲法学的に課題として成立することになるわけです。


弁護人:最高裁は「わいせつとは何か?」の定義について「いたずらに性欲を興奮刺激させ、正常な性的蓋恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」という基準を述べました。この基準「チャタレー3要素」は旧憲法下の大審院の判例のわいせつの定義と異なるものなんでしょうか?

証人:いえ、これは、もとをただせば、大審院の時代の定義をほんの若干言葉を換えるということはあったにしても、全く明治憲法下での刑法175条の解釈をそのまま踏襲したということであります。すると、新憲法となって、表現の自由が全面的に保障されたことは、この定義には反映されていないわけですね。というのは、大審院の定義が、いろいろな憲法上の価値判断をした上で出てきたものではないわけですから、それをそのままそっくり新しい憲法の世界で語っても、依然としてそれは憲法論でない。同時に最高裁は、「家庭の団らん、世間の集会で朗読をはばかる程度に羞恥感情を害するから、社会通念上許容された限界を超える」と述べていますが、一般に、書物はそのような用いられ方をするものなんでしょうか? 

 今御指摘の引用された箇所が、3要素の定義を経た上での適用上の問題として理解しているのか、いわゆる社会通念に従ってという場合の社会通念の解説なのかよく分からないのですけれども、いずれにいたしましても、その言説、つまり、一家団らんにはふさわしくないといったようなことを判定基準の中に持ち込むことによって、憲法上の論点を外してしまったと思います。

 といいますのは、出版物、メッセージを発信する、メッセージを受け取るということは、様々な態様があるわけで、それを法的に判断するという場合でも、それぞれの態様に応じて判断の仕方が違う。けれども、本件の出版物の場合には、一家団らんの中で読むとか、声を上げて読むとか、人々が見えるようなところで見るとかということは、ごく普通の出版物の観念ではないところである。
だから、それを社会通念と言っても、社会通念は一家団らんの中にのみあるのではなくて、社会通念という言葉を別の意味で使うとするならば、社会通念として、読書というのは、極めて個人的な、個人生活的な、個人の関心に合わせてそれに接するという性質のものであり、それに接するがごとく作られているということだろうと思います。

 あらゆる出版物を、あるいは、あらゆるメッセージの交換を、公の場で行われていいかどうかということで判定するということがよしとするならば、これは、表現の自由が保障されることが非常に少なくなるということになるのであって、その点から、今の言説から見ましても、憲法上こういうことが言えるのだろうかということが深刻に疑問になるような言説であったというふうに理解しております。


弁護人:他方で最高裁は、「社会通念や社会意識について、相当多数の国民層の倫理感覚がまひし、わいせつなものをわいせつと認めないとしても、社会を道徳的退廃から守らなければならない裁判所は、病弊堕落に対して批判的態度を持って臨み、臨床医的役割を果たさなければならない」と言ったのですが、この立場に対して、学会はどのように反論したんでしょうか?

証人:最高裁判所の判示文というのも最高裁判所批判として最も批判の多いところであります。今の言説にはいろんな問題がたくさん含まれているけれども、1つの重要なポイントというものは、世の中がどうであっても、悪いという判断を、それは間違っているんだという判断を、国家が、最高裁判所はできるという前提に立った上で、どんなに世の中が間違っていても正しい道というのはあるのであって、正しい道を判定するのが裁判所だということを「臨床医的役割」という言葉で示している感じがする。これは典型的に、内務省のポジション、明治憲法的なポジションであると。「チャタレー夫人の恋人」で言えば、あの本がどのように読者に受け止められていようと「あれは間違っている本なんだよ」と言うこと、あたかも我々は病気を発見し治すことを国によって期待されている立場だということを言うのは、どう考えても戦前的な、つまり裁判官が天皇の名において「よき道徳とは何か」ということを判定できるという仕組みの残りかすではないかという感じを僕は持っているわけです。



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※尚、このレポートはメモ及び記憶を元に作成されており、あくまで公判のイメージを伝えるためのものですので、多少の記述の食い違いは御容赦ください。
※転載は自由です。
※制作は児ポ法改悪阻止青環法粉砕実行委員会が行なっています。 また、制作に当たり匿名の方の協力をいただきました。



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