第8回公判 弁護側証人尋問
〜その12〜

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この日、検察側は公判に人員を大量動員していた。
ざっと見た感じでは若い人ばかりで、それぞれ真面目にメモを取ったりしていた彼らは見習い新人なのだろうか。
憲法学者の奥平氏といえば法曹界では一大権威で、その証言を聞きにということなんだろうけど、その視線がやっぱり西村検察官のプレッシャーになったのかもしれない。
序盤から飛ばしてくれます。


検察官:よろしいですか?

証人:どうぞ。

検察官:刑法175条は憲法21条に違反するというお考えだということですね。

証人:はい。先ほどのお話の前提として、判例も含めて、従来考えられてきている刑法175条の法的な構成、現にある法的構成はという意味です。

検察官:ではあの、仮定の話になって恐縮ですが、仮にわいせつ物がね、あるとしますね。これはそうしますと、どのように規制をかけるというふうなことになるんでしょうか?

証人:でも「あるとしますね」とおっしゃいますけど、わいせつ物って何でしょう?

奥平証人の原則論的な切り返しに 西村検察官はうろたえ、傍聴席から笑いが漏れる。
以前にも触れたが、西村検察官は「偉い先生」にはとっても弱い。気迫負けというか、「勝てなそうな雰囲気」が全身から出てしまってきている。
きっと髪形のせいだろう。
彼、西村検察官の髪形は実にユニークで、前髪をばっさり切りそろえたボブヘア…というかヘルメットをぽっかりかぶったようなおしゃれぶりだ。傍聴者の一部には「西村カツラ疑惑」が出ている。
傍聴席から立ち上って「裁判長!西村検察官は頭髪は虚偽であり認められません」とか言ったら楽しかろうと思う。思うだけ。



検察官:あ、そうですね…判例で認められている、仮にまあ、わいせつ物という…

証人:だから、さっきから出てきているような、規制の枠組みの中で考えるわいせつ物というものがあるかどうか、という御質問ですか?

検察官:ええ、規制の方法をお尋ねするんですが…

証人:つまり、あるべきわいせつとは何かということじゃなくて、現に判例で決まっているわいせつ物として判定されたわいせつ物?

検察官:は、はい。それをどのように取り締まればよろしいかという点で…

証人:いや、だから「わいせつ物があるとしますね」という御質問の意味が僕にはよく分からないのは、

検察官:はい。

証人:何を基準としてわいせつ物とするかということで。

検察官:判例でこれまで認められたわいせつ物がありますけど、それを結局、取り締まる側からするとですね、どのように規制すればよろしいのか、そのお考えを…

証人:例えば、これは性的な刺激を与えている、そして、これは性欲を刺激する、仮にこれを第1条件とする、それから、恥ずかしいということを感じさせる、性的な道義心に欠けるところがある、そういう判例で判定することを、僕も承認することになるんですか?

裁判長:あの…質問の趣旨が不明確なんですが、つまり検察官の言っているのは、証人のお立場から見ても、これは目に余るというようなポルノグラフィがあったとしますね。そういうものについて規制する必要はないのか、あるいは規制するとすれば、どういう規制があり得るのか、という質問だと思うんです。

証人:ああ、そうですか。僕は、出版物と考えられることを前提としますが、そういう出版物で、いかなる意味でもね誰に対しても、どんな脈絡であっても規制してはいかんという、国家は判定できないんです。つまり、出版物というものは、その人にとっては読みたい、その人にとっては関心があるというときに、いや、駄 目ですとは第三者としての国家は言えないだろうという前提が、どうしてもあるわけです。

検察官:そうすると、国が取り締まること自体ができないんだというお考えですか?

弁護人:異議あり。今、取り締まると言いましたが、先ほどの証人の証言の流れからすると、ゾーニングするという規制もあるし、万人として駄 目だというやり方もあるわけですよね。どちらの意味で取り締まるという言葉を使っているのか、はっきりさせていただいたほうが、証人としても答えやすいのではないかなと思いますが。

検察官:国が一律的に取り締まるということですが…

証人:あらゆる脈絡を超えて、どんなシチュエーションでも、いかなる場合でも、だれに対しても、できないと。つまり、もの自体の価値というものを、国家が、およそ、いかなる意味でも、だれに対しても、どんなコンテクストであろうとも、未来永劫とも、そちらの御質問の意味がよく分かりませんけども、今の国家の時点では、それは取り締まることができるんだという前提自身が、表現の自由ということとの関係で言うと、まずいんじゃないかと。

証人:さっきから問題にしていることですけど、私は読みたいんだ、いや、あんたは読んじゃいかんのだということを、第三者がどうやって決めるのだろうかということになるわけです。僕の答えが、うまく御質問に対して答えとなるか分からないけど、1つの答えをここの上に出してみます。
それは、僕の場合は、読みたくない人をどう保護するかと、見たくない人、そういうことはいやらしいと思っている人を、どのように保護するかという問題だろうと思うわけです。で、それなら、国家は取り締まることはできる。なぜならば、その人のある種の表現の仕方のいかんによっては、他人に対して害悪を及ぼすことがあり得るわけだから。それにめがけて規制するということ、その人を含めた社会を保護するということは、大いにあり得ることだと思います。
ただし、それは、およそ書物は、いかなるコンテクストであろうと絶対駄目だというんじゃなくて、私はそういうものに全然関係ありませんと、私は見たくもありませんと、私にはアクセスしないでくださいということは、私は偶然にこれを開いたりなんかするのも嫌ですと、ということは、場によったら、民事訴訟も含めて、つまり、あるときダイレクトメールでやってきた、中身を知らないから開いてみる、開いてみたら私にとっては最も気味の悪いとか、私にとっていやらしいと思うとか、私は今セックスのことなんて何も考えたくないのにセックスのことがわっと出てきているような、突然舞い込んでくるものに対して、いや、それは表現の自由だと、僕は言いません。そういうのは表現の自由だとは言わない。
そういうことをどうやったら規律できるかということは、規律の問題としては考えなくちゃならない。でも、今の刑法の問題は、刑法175条はそういう構造に、残念ながら、解釈も含めて、プラクティスも含めて、なってないということです。

検察官:現在わいせつというものの定義は、裁判所のほうではっきりしてるわけなんですけども、一応の定義はあるんですけれどもね。わいせつかどうかの判定をするのは、最終的にはどこにある、だれが判定すべきなのかという…

裁判長:証人は、175条は違憲、無効だというお立場ですから、する質問は相当でないと思うんですけれども。

裁判長は苦笑しながら検察官の話をさえぎった。たしかに検察官の質問は変だし。
検察官の風ぼうについて触れたので、裁判長についても触れておく。
彼、中谷裁判長はだいぶキャリアの長く、初老近い白髪の裁判長だ。
おでこから禿げ上がってそのまま頭頂部まで毛が無くなり、耳の脇と後頭部にいくらか総白髪が残っている感じなので、どっちかというと、おじいちゃんな外見。キャラクターとしては福田官房長官に似てるなという印象だ。
頭はいいけどヤなやつかも知れない。

検察官:はっ、分かりました。えー、先生は、今回裁判になっている漫画「蜜室」は御覧になりましたか。

証人:ちらっと、弁護人を通じて拝見いたしました。

検察官:どのような印象をお持ちになられましたか?

証人:ああ、今、こういう本を読みたいという人がいるんだな、ということ。

会場、どっとわらう。
検察官は憲法論ではなく『蜜室』という個別の事例について話をさせようとしたのだろうけど、それをさらっとかわす奥平氏。場慣れしているなあという感じだ。


検察官:それはどういうふうな意味なんでしょうか?

証人:いや、そういう社会なんだなという、そういうことを表すものなんだなという。僕の場合、読み方の目的がありますからね。裁判になっているんだということ等々、様々な前提の上で僕はその本を見せつけられたじゃないですか。そういうコンテクストの中で僕は判断したことは、そういうことです。
ああ、これはいかんねとか、これは面白いねとかいったような、僕の関心の度合いが普通 の人のとは違うかもしれないじゃないですか。僕は非常に客観的に、こういうことが出版物として今、どういうレベルでだれが読んでいるかということについては全然分からないけども、ああ、こういう本が出ているのかということ、そして、こういう本が駄 目だと言っているんだ、というのが僕の印象です。

検察官:嫌悪感とか、いやらしいなとかいう、そういうお気持ちにはなられましたか。

証人:全然。

再び会場から笑い声がおこる。
奥平氏の受け答えそのものが面白いというよりは、西村検察官のうろたえっぷりが笑いを誘ったのだろう。
しかも彼はこの笑い声によってさらにペース乱し、尋問内容は渾沌として迷走する。


検察官:そうすると、このような漫画は規制する必要はないんじゃないかという…

証人:いやあ、僕はそういう意味で

検察官:どのような規制が…

証人:言ってるんじゃな、く、て、

検察官:はい。

証人:こういうことを読みたい人は、やっぱり読むことによって何らかの関心を持つという人が世の中にいて、それがマーケットとして成り立っているのだなという、さっきから言ってることの繰り返しになりますけども、それを規制してはいけないとか、それを規制すべきじゃないかという判定を、僕自身は裁判官じゃないわけですし、僕がそれを判定したって何の意味もないわけですから、そういう意味で非常に客観的に観察したということです。

検察官:今回の端緒となったのが、父兄からの投書があって…

弁護人:異議有り。その投書は証拠として提出されていません。

会場爆笑する。
異議を申し立てたのは山口弁護士。 単にさっきの検察官の異議と同じことをそのまんまやりかえした嫌がらせだ。


検察官:え−、わいせつかどうか決めるのは公権力だというお話が先ほどあったと思いますが?

証人:ええ、僕はそこが問題だと思います。そうである構造が問題だと思います。おっしゃるとおりです。

検察官:世の中の通念の中には、わいせつな物を取り締まらなければならないという考えがあるんではないかと思うんですけども、その辺の…

証人:先ほどの質問でもそのことが、ザ・コンベンション・オブ・コンセンサスという言葉があったと思います。それを言うとですね、僕などのような、戦前に子供の時代を過ごした人間からすると、すぐ思い出すのは、共産党の取締りなんですよ。
共産党の取締りを、悪いなんていうこと、僕は子供のときに聞いたことは1度もない。あれはアカだから悪いんだということが、絶対的なコンセンサスとしたあり、世の中に行き渡って支配してました。で、表現の自由というのは、そういうものじゃないだろうという感じがするわけです。

検察官:ちょっと話変わりますが、先ほど弁護人の質問の中でゾーイングという言葉が出てきましたが。

ゾーイングじゃなくてゾーニングです。

証人:僕は言ってないですよ。僕は使わなかったですけど。

検察官:あう…そのような趣旨の話が出てきましたけれども、本件のような漫画は、ゾーイングというふうな手法で対応すればいいんではないかというお考えですか?

証人:僕はすみ分けということを言ったと思います。それはどういうことかというと、配布するほうの側がターゲットを決めて、目的適合的なマーケットということで言えば、非常に限定した形で、刑法でいわゆる頒布、販売を行ったなという印象を僕は持っているわけですね。
で、そういう認識の上で見れば、読みたい人に向けて発信されたと、それに関心を持ち、それにアクセスしたいと思う人たちに対して発信した文書であるというふうに考える。そうすると、その人たちが、これはいやらしいと考えるかもしれないし、面 白いと考えるかもしれないけども、少なくともこれは、国家が一般的な基準でもって、「これは恥ずかしいことですよ」と、「読めば読むほど性的に道義に反するものですよ」といったような、例の3原則が適用されるようなうな領域とかかわらないところでマーケットを造ったといえる。そして結果 として、読みたい人の読みたいと思う、自分の自由の行使、自分が受け取る自由、そして鑑賞する自由、読む自由、いいとか悪いとかを判断する自由はその人に任せられていると。
処分可能性という言葉を使うわけですが、

検察官:一般人が手に入れても、問題ないわけですね。それらが結局、ゾーイングという、住み分けですか、すみ分けという手段を講じたとしても、結局、大人の一般 人の手に入ったものが、18歳未満の子供たちの手元に出回らないとも限らないんですが、その辺のところの規制までは、行う必要ないということでしょうか?

証人:今の御質問は、もう1度、僕のほうから問いかけさせていただきますけれど、受け取った人は子供に見せるかもしれないじゃないかということですね?

検察官:はい。

証人:だから、あなたは読んじゃいかんということですね? アクセスしちゃいかんと、マーケットに乗せちゃいかんと、そういう可能性があるからと。

検察官:すみ分けが充分かどうかという…

証人:すみ分けにはリスクが伴うわけです。でも、そのリスクを原理的なものとして考えるか考えないかという問題だと思うわけですね。さっきわざわざ、受け取りの側の処分の自由ということを言ったと思うんです。受け取る人の処分の自由ということは、その父親かもしれない、母親かもしれないけど、自分がたまたま買って、それを自分の子供に見せるか見せないかというのは、その親の問題でしょう。
 処分の可能性が自由だということは、見せるか見せないかということは、その人の問題でしょう。国家の問題じゃございませんでしょう。大量 的に見せるに決まっているということになれば、社会的な問題になると思います。自主的に判断可能な人間の、その自主的な判断可能な自由ということを前提としてということになると、合理的に考えられる人というのは、そういうものをこれは子供に見せていいとか、いや、子供に見せていかんということを、その人個人の責任で処分するじゃないですか。
だれでもがするとは限らんでしょう。その人の母親なり父親なりの判断で「これは子供に見せていい」と、それに対して「いや、あなたそれは親として認識が間違ってますよ、子供に見せちゃいけませんよ」と。そして「そういう人がいるからあなたも見ちゃいけません」というふうに判断が形成されるということを、国家の理論として冒えるだろうか?と。それが個人の自由を確保している理論であろうか?と。僕は見るわけです。

証言の最後の部分は表現の自由を守るうえで最も本質的な部分を問うていると思う。
体調すぐれないなかで2時間以上に渡って熱弁を振るった奥平氏はその言葉を最後に証言台の椅子を立った。
思わず傍聴席から立ち上って拍手を送りたいくらいの、見事な証言だった。
そのまま休憩を挟まず、今日二人目の証人藤本氏の証言に移る。



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※尚、このレポートはメモ及び記憶を元に作成されており、あくまで公判のイメージを伝えるためのものですので、多少の記述の食い違いは御容赦ください。
※転載は自由です。
※制作は児ポ法改悪阻止青環法粉砕実行委員会が行なっています。 また、制作に当たり匿名の方の協力をいただきました。

 
 



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