第8回公判 弁護側証人尋問
〜その14〜

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弁護側が立証しなければならない点は大きくわけて二つ。
ひとつは「蜜室」がタダの性欲処理のためのツールではなく、作品性、芸術性があるということ。
もう一つは40%の消しのかかった「性器」の部分についての反論だ。透けて見えるという点では争ってはいないので、ではその「性器描写」の果たす役割、漫画という表現メディアのなかでどのような意味性を持つのか?ということについて藤本氏は証言をしてゆく。


弁護人:今回、「蜜室」が摘発された理由の1つとして、性器描写が詳細であると、あるいはぼかしが、そこに性器部分、若しくは性器の結合部分にあるぼかしが薄いということがあるようなんですね。
証人:はい。
弁護人:甲50号証、29ページ、31ページ、56ページ、75ページ、79ページ、107ぺージ、109ページ、125ページを示します。これらの部分において、性器、若しくは性器結合部分というのが描写されているんですけれども、これらの性器描写というのは作品の中においてどのような役割を担っているんでしょうか?
証人:確かに、性器は緻密に書かれている印象は受けるんですけれども、全体の作品から見たときに、性器描写の果たしている役割というのは、むしろ、お互いにある種柔らかい部分を交換している密着感とか、体温の温かさとかの感覚をよみがえらせるために書かれているというふうに思いました。
それから、実は、性器部分だけを前後の描写を併せながら非常に子細に読んでいきますと非常に実は面白いことが分かるんですね。実は、この作者が自分との性によって女の人が喜びを感じてだ々だん開いていく、自然に気持ちも体も開いていくのがエロスの根源だというように思っているというふうに申し上げたんですけれども、実は、その象徴としてこの性器というふうなものが描写されているというふうなことがはっきり分かります。
といいますのは、この作品全体としては、そうした快感、相互交換的なセックスが多いですので、基本的に自然に開いた女性器が書かれていることが圧倒的に多いんですけれども、例外である「這いずりまわる」というふうな作品で、その陵辱される前の彼女の性器というのはほかの場面に対して非常にぴったりと閉じているんですね。
それから、第2話で最初に彼女が、その美容師さんがセクハラをされていて、次に総合的なセックスというふうになるわけなんですけれども、このセクハラをされてて店長に一方的にやられているときの彼女の性器というのは非常に雑に書かれていて、明らかに力の入れ方が違う。それから、そんなに開いてないように書かれている。それは例えば店長がそれこそ性器を抜いた後とお互いに何か快感のあるセックスをした後で彼が性器を抜いた後というふうなものの描写を2つ並べてみると分かるんですけれども、明らかにそうした開き方というふうなものに違いがあります。
ですから、それは作者が恐らく意識的にそうした女性のある種の快感のバロメーターというか、本当に彼女が感じているんだというふうなことをある種視覚的、それから感覚的なところで表すために、その密着感や温かさというふうなものを表すためにこうした描写をしたのではないかというふうに考えます。

弁護人:ということは、専ら読者の性欲を刺激するためのツールとしてそういう性器描写があるというわけではないですか?
証人:そうではないと思います。それこそ、性は性器だけに限定されるものではないというふうに女性運動の中とか、あるいは性教育の中とかで言われるんですね。性器だけに限定するのではなくて、もっと全体的なかかわり合いとしての性を教えていくことが私たちにとって必要なのではないかと。で、そういうことから言いますと、この作品の中では、いたずらに性欲を刺激するために性器を子細に描写しているというよりは、むしろ、そういう関係性全体の中でのそのかかわり合いの象徴として性器が書かれているというふうに解釈していいのではないかと思うんです。

弁護人:ちょっとまとめ的なことになってしまうんですが、この作者の持ってるエロチシズムということを説明していただけますか?
証人:ちょっと繰り返しになりますけれども、この作者の持ってるエロチシズムというのは、その2者関係においてセックスというのはお互いに快楽を交換するというふうなところにエロスがあるのであって、その過程で女性がだんだんと感じて、そして気持ちも体も開いていくというふうな、そして喜んで男性を受け入れていくというふうな、その過程にこそエロチシズムがあると、むしろ、それを一方的であったり、暴力的なものを使ったりというふうなのが、手段としてそういう小物が入ってくることがあるかもしれないけれども、お互いに了解した上でね、あるかもしれないけれども、それは飽くまでも相手の了解があってのことだというふうなこと、そこにしかエロスはないというふうにこの作者が考えているということは非常に作品からはっきりしていると思います。

弁護人:この「蜜室」という作品なんですが、これは読者のどういう欲望を刺激しようとして書かれていると言えますか?
で証人:すから、むしろ、そうした身体的な親和的な記憶とか、そういう相手と密着したときの密着感とか、そういうものをよみがえらせるというところにあるんじゃないかと思います。大体ポルノグラフィを分析していますと、大体2つ大きく言うとあるように思うんですね。
1つは、非常に過激なシチュエーションというものを使って刺激を強めることで観念的に刺激していくというふうなやり方、もう1つは、その読者自身が持っているある種身体的な性的な記憶ですね、そういったものをよみがえらせることでエロチックな気分にさせるというふうなもの。それで言うと、この作品はむしろ、前者の部分もなくはないわけですけれども、後者のほうに非常にウェイトがあるというふうに思います。そういう特徴があるんじゃないでしょうか。

弁護人:ちょっとポルノグラフィということについてお尋ねします。ポルノにはアダルトビデオ、写真、コミック、いろんなメディアがあるわけですけれども、.そのメディアの種類によって性欲を刺激する度合いというのは異なるものでしょうか?
証人:はい、それは見る人の性別によって少し違いがあるのではないかというふうに私は観察しております。これは正式な調査ではないんですけれども、私が私的に聴き取りをしました結果、男性は主に小説よりはコミック、コミックよりは写真、写真よりはAVというふうに、実物に近くなるほど性的に刺激される度合いが強い、そういったポルノグラフィを好むというふうな度合いが強いんですが、これが女性の場合は逆で、実写から遠ざかれば遠ざかるほどいいと。
一番がコミックなのか小説なのかというのは人によって違うんですけれども、むしろAVとか写真とかというようなものよりも、そうした小説、コミックといった抽象性の高いポルノグラフィのほうを好む傾向があるんですね。これが恐らく男性と女性がポルノグラフィを見るときに、大体女性に着目している。これはヘトラの多数の人のことを言っていますけれども、女性に着目している。で、男性がその女性の姿を性的な対象として眺めるので、むしろ非常に具体的な対象であるような実写のほうが性欲を刺激される割合が高い。しかし、女性はそうした女性の姿に自分を硬くして見るというふうな傾向が強いので、そうすると、実写とか、あるいはAVとか、ほんとにその人が動いているようなものというのは、自分とは別の女性の存在がはっきりとしているわけなのでそこに自分を重ねにくいんだと思うんですね。そのために非常に抽象的な割合が高いもののほうが女性には好まれるというふうな傾向があるのではないかと思います。「蜜室」は、男性と女性どっちに向けて作られたもめなんですか。これは明らかに男性向けのポルノグラフィだと思います。

この、ポルノへの反応の男女差に関する証言は面白いと思ったりします。
裁判には関係ないけれど。。


弁護人:それでは、「蜜室」なんですけれども、「蜜室」が性欲を喚起する度合い、性的に刺激する度合いというのは、いわゆる実写の写真、あるいはアダルトビデオに比べると強い弱い、どっちでしょうか?
証人:ですから、一般的な男性にとっては弱いのではないかと思います。だから、実写のほうが恐らく一般的な方にとっては強いだろうというふうに思われます。

弁護人:今回の「蜜室」という漫画は、かなりけっこう描写など細かいんですけれども、それでもやはり性器部分や性器結合部分にはデフォルメが施されていると思いますか?
証人:はい。デフォルメがはっきりと施されていると思います。恐らく、実写であれば、先ほどちょっと性器の描写の違いを言いましたけれども、あれほどきれいに開いた感じの性器というのはなかなか難しいんじゃないかというふうにも思うんですね。そういうことも含めまして、かなりデフォルメはされているというふうに言えるのではないでしょうか。

弁護人:この本を読んだ後に喚起される性欲というものは、ずうっと長続きするものなのか、それとも、すぐになくなってしまうようなものなのか、どちらでしょうか?
証人:私はこれは本を閉じれば、確かにポルノグラフィですから性欲を刺激するように書かれているものなので、確かに見ている間は刺激されるものですけれども、本を閉じてしまえばそれは消える、あるいはもっと言えば、マスターベーションなりセックスなりをすればそこで消えるものであって、それが翌日まで持ち越されて頭の中にもんもんとあって日常生活に影響を与えるようなそういうふうな力のあるものではないというふうに思います。

弁護人:今回、「蜜室」が摘発された背景には、どうも性器描写、性交若しくは性器結合部分について「消し」が薄い、あるいは露骨な描写がされているんじゃ.ないかというふうに考えているわけですが、そういう観点から、表現物取締りを行う、つまり性器に着目して表現物取締りを行うということについて、証人はどのようにお考えですか?
証人:それはかなり時代に逆行するものではないかなというふうな印象を持っております。といいますのは、今まで日本では、確かに性器を実写で写すものというふうなのは基本的にタブーとされておりました。しかし、欧米諸国では、割合にあるものを写すのは別に構わないんだというふうなことで、性器を写すことは別にタブーではなかった。
そうすると、数年前、10年前程前から欧米から映画が入ってきたときに、日本では変なぼかしがある。これはかえって変なんじゃないかということが言われるようになり、映画とか写真などでそういうぼかし、モザイクはだんだん外される傾向にあります。しかも、今インターネットの時代になりましてそうすると、性器をぼかすというような規制の無い国からどんどんぼかしのない映像というものが入ってくるわけなんですね。そういったなかで、実写でもない、絵で書いたに過ぎないもの、性器描写というのを取り締まるのはどうかと。
浮世絵などもあるんですけど、浮世絵も確か10年以上前までは、必ずぼかしなり、あるいは「消し」なりというふうなのが一部に入っていたというふうに恩いますけれども、最近ここ数年の間ではほとんど浮世絵にはそういったものは入らなくなって、そして一枚絵として見ることができるようになっています。で、浮世絵はもちろん春画ですね、それは非常にデフォルメされてますけれども、詳細に性器を描いたものです。そういった時代の変化というふうなものを考えますと、今は絵に書かれた偉器の描写というふうなものを取り分けて取りざたするのは、やはりちょっと時代とは逆な方向に行くのではないかということと、先ほど言いましたように、性は性器だけには限定されたものではなくて、もっと全体的なものであるというふうにきちんと教えていこうという流れに対しても、やはりちょっと性器にこだわっているというふうに言われるようなものではないかなと思います。

弁護人:今、そういう流れというふうに言われたんですが、性と性器にこだわるものじゃないというのは、けっこう一般的な考え方になりつつあるんでしようか?
証人:50年以上前ですけれども、コミックシーンで非常に優れていて最先端を走っていたのはアメリカのコミックだったんですね。ところが、このアメリカのコミックがここ50年ほどの間に日本の漫画に大きく水を空けられてしまった。それにはいろんな理由があると思うんですけれども、一つの大きな理由は1955年にできたコミックコードによる規制であるというふうに言われております。このコミックコードによって表現規制を設けてしまったためにアメリカの漫画は失速して、その後発展が非常に細々となってしまい、漫画というものが非常にマイナーな存在になった。それはどういうことだったかというと、そのアメリカのコミックコードができたときに、コミックは子供のためのものだというふうな非常に強い思い込みというふうなものがあったんですね。で、すべての表現を子供にとって無害なように無害化してしまったわけです。ところが、そのために、大人が読んでも面白いような深みのある漫画というふうなものを書くというふうな発展性というものが奪われてしまいました。しかし、日本ではそういうふうな規制がなされてこなくて、ほとんど何でもありの世界の中で発展してきた結果、今現在、漫画市場の中で半分が18歳以上というか、高校卒業以上というふうなものを読者対象にした市場になっております。いわゆる青年漫画の市場ですね。これは18禁という意味ではなくて、ピッグコミックであるとか、そういった大人を対象にした漫画というふうな意味なんですけれども。そうした大人向けの漫画、大人が読んでも面白いような漫画というふうなものを生み出す力があったというふうなことが日本の漫画の今の力というふうなものを支えているわけなんですね。なので、そういったことを考えますと、今回の事件というふうなものが、アメリカと同じく、今現状はそうではないのに、漫画というのは漫画であるというだけで子供のものなんだというふうなそうした誤った思い込みから始まっているのでなければいいけれどもというふうに私は思っております。
それで、特にこの「蜜室」に関しましては、それほど表現が過激であるというふうにも思いませんし、それから、先ほど申しましたように、非道徳的なものでも暴力的なものでもありません。もちろん非道徳的なものや暴力的なものであれば取り締まらなけらばならないということではないんですけれども、ましてや、こういうある種まっとうなエロス観に基づいてなされている表現というものが有罪判決を受けるというふうなことになりますと、今せっかくこれほどまでに世界的な注目も高まっているその漫画の力というふうなものをそいでしまうことになるのではないかと、そういうことを非常に心配しております。

弁護人:ちょっと話戻ってしまって申し訳ないんですが、「這いずりまわる」の作品の中で、ヒロインのほうが基本的に嫌がってるという描写が書いてあると言うんですが、まずヒロインが味わってる苦痛とかについて細かい描写はされているんですか?
証人:はい。それはそうですね、涙ももちろんありますし。で、同じ涙があるといっても、その涙を流している感じがいいというふうな感じのポルノグラフィもあるんですけれども、そういう描写ではないというふうに思いますね。それから、それこそ、たばこの火を押し付けられたりとか、あるいは髪をぐいっと引っ張られるとか、あるいは先ほども言いましたように掃除用具の中でわざわざそこの、ただ見付けられたというだけではなくて、背中にごつごつと当たっているその掃除用具というふうなものが書かれている。これは恐らくそこに掃除用具が書かれているということは、読んでる読者は意識してないと思うんですよ、彼女の背中に当たってるということは。だけど、漫画というのはある種サブリミナルな感じで、読者が持ってる身体感覚ですね、意識はしてないんだけどこのときは気持ちいいに違いない、こういう状態だったら痛いというふうなのをよみがえらせるんですね。そういうところから見ると、絶対に見ていて非常に痛い感じがするんですよ、この最後の「這いずりまわる」に関しましてはね。

弁護人:「這いずりまわる」という作品というのは、基本的にレイプとか意に反する性行為なんですが、主人公の女性がその性的に感じるシーンというのはないんでしょうか?
証人:1箇所だけあります。ただ、この1箇所も、ですから、これが考えられてるなと恩うのが、おたく的なさえない男の子というふうなのがいるんですけれども、この人は一貫してこの陵辱には加担してないんですね。加担してないんですが、そのお坊っちゃんの悪に言われて、おい、おまえも触ってやれよというふうに言って、それで主人公の性器に彼が触れる部分があるんです。そのときだけが彼女が感じるというふうに作られています。ということは、やっぱりこの作品全体としては、そのちょっと見ネクラでおたくな子ですね、その子に実はこれは作品としての焦点があるんですね。そういうことが明らかで、そういうところを見ても、非常にだからちみつに作られてるなというふうな印象は受けます。


藤本氏の証言はここ近年の漫画含めたエロ文化の傾向からアメリカに置ける「コミックコード」の話題に及び、最後に聞き残したと思われる「蜜室」の作品論に関しての補足をして終了する。
そして西村検察官が登場。特に注目すべき話はないのでそのまま読み流してください。
基本的な彼の感覚では「必要性のない表現はするべきでない」ようです 。

その必要性を判断するのは誰か?警察権力なのです。

検察官:ほとんどの描写が和姦の描写であるということですが、和姦の描写の中では、性戯、性交場面などについてけっこうリアルに書いてあるほうだと思うんですけれどもね?
証人:はい。

検察官:そこまで、先ほどご覧になったものを前提にしているんですけれども、描写する必要性というのはあるんでしょうか?
証人:私はあるのだと思います。先ほども申し上げましたように、そうした形で女性が感じている、気持ちや体を開いているというふうなことをこの作者は書きたかったんだと思うんですね。その感覚をできるだけ伝えたいというふうに思ったときに、そこまでの描写をしたのだというふうに思います。そういったところでは、この作者は、ただエロ漫画を書いてやろうとかということではなくて、非常にある種作品にかける熱のようなものが感じられるというふうに思います。それから、リアルだというふうにおっしゃいましたけれども、この作品は、いわゆる非常におたく的で希望的な絵というのがもう1つ極端にありますけれども、そっちでないことは確かなんですが、じゃ、非常にリアルで劇画的なタッチの絵かというとそうではなくて、実は中間ぐらいに属する絵だというふうに思うんですね。それが、この一番最初が特撮ヒロイン、それからメード服、それから眼鏡っ娘というふうに言うんですけど、眼鏡を掛けた女の子ですね、というのは、おたくの前要素なんですよ。前要素というのは、おたくが非常に好んで用いるアイテムというふうなことなんですけれども、そういったところ、それから、最後の作品がおたくの男の子を中心に置いてるということから考えても、恐らくこれは非常におたく的な読者というのも想定しているものだというふうに思います。で、先ほどの描写が必要かというふうなことで言いますと、それと同時に、この作者はそうした親和性のある密着感とか、相手との体でのつながりとか、そういったものを自分のできる限りの技を使って再現しようというふうに試みているのだと思います。そういうことから言えば、恐らく作者にとってはその表現の必然性はあったというふうに思います。また、描写とともに、その際に発する音や声の描写も文字になってるんです。あるAというものをはっきり際立たせたい場合に、Aだけだと対象物がないと、そのAの良さというものは浮かび上がってこないんですよね。だけど、そこに1つBという対象物、反対のものを持ってくることによって、逆にその落差でもってAというところの対象というのが浮かび上がってきますよね。そういうふうな意図もあったのではないかと思いますが。

検察官:ぼかしの関係でお尋ねするんですけれども、仮にぼかしがなかったとして、どのようにお考えですか?
証人:ぼかしがない?

検察官:網掛けがないというふうな状態…
証人:今も網は掛けてありますよね?

検察官:はい。
証人:あれよりももっとない場合ですか。

検察官:はい。
証人:私個人は別に網掛けがなくても構わないというふうに思いますけれど、これはあくまでも絵なので。

検察官:何ら問題ないというお考えですか?
証人:はい。

検察官:性器描写などが、かなり我々の目から見ると詳細に書いてありますけれども、一般的にはあのような書物が出回っているんですか?
証人:はい、そのように思います。それほど突出したものだというふうには思いません。実際に、多分ぼかしが入ってないものも、これだったというふうにはにわかに指定できませんけれども、あると思います。

検察官:和姦の中で、「相思相愛」のところで、催淫剤を使ったような場面もあるんですけれども、ああいう場面というのはやっぱり物語の中で必要なんでしょうか?
証人:そうですね、それはそういう場面を使ってみたということでしょうね。しかし、それは絵を見て、この木はこの絵の中に必要でしょうかというようなことのようにも思えますが。

検察官:それから、最後の「這いずりまわる」のシーンは、手足を縛ったり、ナイフを使ったり、痛み止めを飲ませるとかですね…
証人:すみません、もう1つ、補足します。あそこで催淫剤が使われているのは、恐らく話の流れをスムーズにするためだと思うんですね。つまり、あそこで何度もたたかれていたりするわけで、しかし、その女の人が最後には割合に自分から求めるというふうな形に持っていってるわけですよね。で、その自分から求めるというような形に持っていっているのは、それは求めさせられたというふうに見えるんだけど、本当に実は彼女は自分から求めていたんだというのが最後に分かるわけですが、そこにスムーズに流れさせるための小道具としてその催淫剤が使われているんだと思います。そういうことで言うと、作者の中であれは恐らく必然性がありますね。

検察官:「這いずりまわる」のシーンですけれどもね、ピンで体を刺したり、たばこを押し付けたりなんかそんなこともやってますけれども、こんなシーンを見ますと、虐待してるんじゃないかと、陵辱してるんじゃないかというふうに.も読めるんですけれども、あれは先生おっしゃったような、そのさえない男の子に焦点が合ってるというふうなことのために書かれてるということですか?
証人:はい。それと、彼女がこの関係を全く楽しんでないということをはっきり出すためだと思います。

検察官:輪姦されちゃえば大体楽しんでないと思うんですけれども。
証人:ですが、ポルノグラフィの中には、それをある種ロマンチックであり、エロチェックであるようなシチュエーションとして描くというふうなこともあります。ですから、むしろ、あれはそうではない方向へ描いているというふうに思います。

検察官:先ほど、この「這いずりまわる」が、つらい、感情移入しにくいというふうなおっしやり方をされていますが、女性の目から見ると、「這いずりまわる」というふうなこの漫画については違和感があるということですか?
証人:そうです。これに関しては、ですから読んでいると痛みを感じます。ただ、この痛みは、先ほどから繰り返して言いますように、作者がこの痛みを意識的に描いているものだと思います。で、作者はつまり悪いことだと思っていないのにこちらが痛みを感じているのではなくて、作者自体がこれを痛みを感じる行為であるということを意識的に描いているということです。

検察官:こちらの漫画の購読層についてはどのようにお考えですか?
証人:これは明らかに18歳以上についてだと思います。年齢的なことではなくということですか。

検察官:18歳以上というふうなことの理解ですか?
証人:ですね。それで、ある種漫画を読み慣れたファンに向けて書かれているものだというふうに思います。


裁判官:先ほど、仮に不道徳なもの、あるいは、より過激なものであっても規制するのはおかしいというような趣旨の証言されたんですが、証人はそういうお考えなんでしょうか?
証人:はい、より過激なものというか、より暴力的だったり不道徳的だからといって処罰の対象になるわけではないというふうに申し上げました。

裁判官:即、ではないというのは、どういうことを考えておられるんですか?
証人:逆に言いますと、例えば不道徳なものであるとか、あるいは暴力的な描写がなされていたとしても、それは逆に言えば、そのためにある種の代替行為といいますか、それ自体が欲望のガス抜きをするというふうな役割を果たすということはあるわけですよね。ですから、そういう意味で言いますと、不道徳的なものであるとか、暴力的なものであるから即取締りの対象になるというふうには考えません。それから、恐らくそれが刑法による取締りの対象になるとすれば、それはやはりかなり特殊なものであるだろうというふうに思います。
私自身としては、私の目から見て適切ではない、これは不愉快だというふうな表現があるということはあると思いますけれど、むしろ、それをその表現について話すことの白由、そういうふうに批判することの自由というふうなものも確保されることが非常に望ましいというふうに思っているんですね。ですので、むしろ、それを発禁にするとか、あるいは刑事罰を与えるというふうなことで、これ自体見てはいけないんだというふうな形になっていくことというのは、かえってマイナスのほうが大きいように思います。ですから、もしかすると取締りの対象となるような表現があるのかもしれません、それは分かりませんけれどね。あるのかもしれませんが、もしそれが適用されるのだとすれば、それは相当丁寧な過程を経て、相当の条件をクリアしてのことではないかというふうに思います。


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※尚、このレポートはメモ及び記憶を元に作成されており、あくまで公判のイメージを伝えるためのものですので、多少の記述の食い違いは御容赦ください。
※転載は自由です。
※制作は児ポ法改悪阻止青環法粉砕実行委員会が行なっています。 また、制作に当たり匿名の方の協力をいただきました。

 
 



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