第11回公判 最終弁論
弁論要旨 その4

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III 被告人の故意


第1 被告人に故意はない
仮に百歩譲って刑法175条が合憲であり、かつ「蜜室」が「わいせつ」であるとしても、被告人は無罪である。すなわち、被告人には故意がない。


第2 刑法175条の故意とは
1 規範的構成要件要素
刑法175条の「わいせつ」概念は、いわゆる三要件説を前提にすれば、羞恥心、社会通念、性秩序等、法的な評価や社会一般の文化的評価による判断が必要であるから、規範的要素を含むいわゆる規範的構成要件要素(構成要件要素の存否の認定について裁判官の規範的・評価的な価値判断を必要とするもの。刑法総論講義第四版・大谷實・成文堂。)である。
それゆえ、同条の故意があるといえるためにはどのような認識があれば足りるのか、学説も諸説あり、また、後に述べるように、裁判例においても必ずしも判断が一貫しているとは言い難い。
2 最高裁判例の立場及びその結論の不当性
刑法175条の故意について諸説紛糾したのは、最高裁が「チャタレー事件」(昭和32年3月13日判決)で示した規範が余りにも不当な結論を導き出すかのようであったからに他ならない。
すなわち、最高裁は、同事件において、「刑法175条の罪における犯意の成立については問題となる記載の存在の認識とこれを頒布することの認識があれば足り、わいせつ性についての認識は違法性の意識の問題であるから必要ない」「かりに、主観的には刑法175条のわいせつ文書にあたらないものと信じてある文書を販売しても、それが客観的にわいせつ性を有するならば法律の錯誤として犯意を阻却しない」旨の判断をした。つまり、外形的な事実の認識があれば足り、それさえあれば故意を阻却することはないという立場に見える判断をしたのである。
しかし、かかる最高裁判例の基準によると、余りに結論が不当な場合が生じる。例えば、客観的にわいせつとされる小説の頒布罪が問題となったときに、行為者が外国人や文盲であり、小説の記載内容が全く理解できなかったとしても故意が認められるという不都合な事態が生じてしまう。また、そのような極端な事案でなくとも、何らかの事情があって、行為者が適法であると確信しても無理がないような事情があったとしても、故意を認めざるを得ないという点で、適性処罰の観点からは、明らかに不当と言わざるを得ない基準だからである。
3 学説の展開及び最高裁の基準の再検討
かかる不都合性のため、学説はこぞって最高裁判例に批判的態度を見せた。各学説の内容を一々詳細には述べないが、例えば、意味の認識、つまり「エロ本」であるとか「いやらしいもの」であるとかの認識が必要であるという立場や、同程度の性表現物が日常の社会生活において流布されていて、普通人が受容し、かつ捜査機関もこれを放任していた内容の文書等であるという事実的要素を認識していれば、わいせつ性の意味の認識が欠けるという見解(中山研一・わいせつ罪の可罰性、214ページ以下)等である。
しかし、最高裁判例が「問題となる記載の存在の認識とこれを頒布することの認識」があればいかなる場合であっても故意を認め、先に述べたような不都合性を黙殺する趣旨であり、全く意味のない規範なのかと言うと、それは疑問である。「蜜室」の客観的なわいせつ性を検討した際に述べたことであるが、わいせつ性判断の基本となる社会通念、特に性表現に関する社会の意識は年々、いや、日々変容するものであり、行為者が「わいせつでない」と信じても無理はない事案であるときに、否応なく故意を認めてしまうとは考えがたいからである。
そもそも翻って検討するに、刑法第38条第1項は、「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。」とし、犯罪成立要件として故意が必要であることを定めている。このように、明文での例外を除いて故意が犯罪成立要件とされるのは、行為者が犯罪事実を知ることで規範の問題を与えられているにも関わらず、その規範を乗り越えて犯罪を犯すという反規範的人格態度があるからである。
そうすると、わいせつ罪の場合、行為者に規範が与えられるためには、最高裁判例のように、「問題となる記載の存在の認識とこれを頒布することの認識」だけがあっても、行為者に規範の問題は与えられない。記載の存在を認識していたとしても、それが違法であるとの認識を有することはないからである。
したがって、最高裁判所のチャタレー判決を前提とするとしても、わいせつ図画にあたらないとする相当の理由がある場合には、明らかに規範の問題が与えられないから、それを所謂「法律の錯誤」と位置づけるかはさておき、故意を阻却する場合があると考えるべきである。これは弁護人独自の見解というわけではない。すなわち、性的な描写を含む映画ではあるが、映倫管理委員会の審査を通過した映画につき、東京高裁昭和44年9月17日判決(「黒い雪」事件)は、映倫がそもそも第二次大戦後国家による検閲制度が廃止され、表現の自由が憲法上の保障を得たことにかんがみ、映画形式による表現の自由を映画業界関係者自らの手によって守るために、また観客の倫理的水準を低下させるような内容の映画は自主的にこれを排除して検閲制度の必要性を事前に除去しようとする目的をもって発足したという経緯、映倫が一応社会的な信頼を得てきたこと、映倫を通過した映画については本件以前に一度も公訴提起したことがなかったこと等の諸事情を認定し、刑法上のわいせつ性を帯びるとまったく予想せずに法律上許されるものであると信じて上映したものであるとして、その故意を否定している。
また、四畳半最高裁、東京地裁昭和51年4月27日判決・四畳半襖の下張り事件一審は、「わいせつ性の程度は、軽微であるとは言えず、社会一般の良識の有するものではないことが明らかである。被告人らにおいて、単にその文学的価値のみならず、そこに描写されている男女の性行為等の露骨かつ詳細な表現に思いをいたすならば、社会通念によってそのわいせつ性を認識することはさほど困難でなかったと思われる」として、故意を阻却しないとする。わいせつ性の軽重や、社会一般の良識なるものが果たして明らかに判断できるのかと言うことはともかくとして、当該図画のわいせつ性が「重く」なく、「社会一般の良識に反」しない場合には、故意阻却を認めるものであり、上記黒い雪事件と同様、わいせつでないと信じるにつき相当の理由がある場合には故意阻却を認める趣旨であると言えよう。
そして、本件被告人には、以下のとおり、わいせつでないと信じるにつき「相当の理由」があった。


第3 本件被告人の事情

1 行為時の出版状況
平成10年頃から被告人が「蜜室」を販売した平成14年の出版状況からして、被告人が「密室」を「わいせつ」でないと判断したのはやむを得ない。
すなわち、弁1号証ないし弁19号証及び弁29号証ないし31号証に掲載された各漫画の描写を見れば明らかであり、当時のいわゆるアダルトコミックは、性器性交部分の消しの濃度が下がりほとんどないものが多く(被告人供述調書14ページ)、若しくは極めて消しが薄い状態であった。また、平成10年には春画画発行され(弁21号証、25号証ないし27号証)、その他無修正で男女の性器及び性交部分が描かれた書籍が多数出版され(弁20号証、22号証ないし24号証、28号証)ていた。
被告人は、このような出版状況をチェックし、それでも警察から警告を受けたり、摘発されたりという話は聞いたことがなかった(第9回公判、被告人供述調書14ページ)ため、漫画の場合は無修正でも摘発を受けることはないであろうと信じていた(同調書36ページ)。しかし、それでも慎重を期して何もアクシデントが起らないように(同調書37ページ)、他社よりも濃い消し40%の消しを入れるよう留意していたのである(第9回公判・被告人供述調書15ページ、40ページ)。
被告人のような出版業者が、自らの行為の適法性を確認するには、他の出版物との比較しかない。しかも、性器性交場面の露出度において、2番手につけるよりもさらに慎重に、5,6番手程度に押さえていたのである。自らよりも性器性交場面の露出度が大きい4,5番手までの出版社の出版物が「わいせつ」として摘発も警告も受けずに堂々と出版されているのに、自らが発行する「蜜室」が「わいせつ」であると判断することは、不可能を強いることに他ならない。

2 専門家でも判断不可能であること
現在の「わいせつ」図画の取締りは、各警察署の風紀担当係の警察官が専門的に行っているが、「密室」は、担当警察官でも「わいせつ」と言い切れない代物であった。
すなわち、証人真庭和喜は、警視庁生活安全部保安課に所属し、「わいせつ図画公然陳列のみ」を担当している、図画の「わいせつ」性を判断する専門家である(第9回公判・証人尋問調書1ページ目)。しかも、本件の所轄の代々木警察署だけでは処理できなかったため、本部員として代々木警察署に派遣されたものである(同調書2ページ目)。
ところが、そのような専門家であるはずの真庭証人も、「悪徳の栄え」最高裁判決を「分かりません」(同調書8ページ目)、見たその日にわいせつであるという結論は出さず、刑法学者と弁護士の先生、東京地検風紀担当検事にも聞いた上ではじめてわいせつであると判断している(同調書9、10ページ目)。これまで成人コミックを摘発したことがなく、慎重を期して行う必要があったからである(同調書16ページ目)。
現に、「識者」と言えるであろう園田証人も、「密室」はわいせつではないと明言しており、そのあいまいさは明確である。
風紀取締担当や刑法学者などの専門家でも判断できず、上記のように慎重を要する類のものを、法律解釈や取締要綱につき何一つ知らない被告人が「わいせつ」であると判断できるわけはない。

3 白消しについて
「蜜室」は、冒頭のカラー部分については性器が全く見えないようないわゆる白消しを入れている。
後述するように、被告人は、そもそも漫画の場合はわいせつ罪で捕まることはないと考えていたが、消しを入れないと捕まるといううわさは聞いていた(第9回公判、被告人供述調書13ページ)ため、一応万全を期してカラー部分には消しを入れていた。
被告人は決して無修正が違法と考えていたわけではなく、分からないことには足を突っ込まないように考えていた(第9回公判、被告人供述調書35ページ)ものであるが、要は万が一にも「わいせつ」とならないように万全を期していたのである。

4 犯罪を遂行する意識の欠如
被告人は、官憲への反抗や、違法を確信して「蜜室」を販売したのではない。刑法上の「わいせつ」に該当する(弁護人は、「蜜室」のわいせつ性を認める趣旨ではない)とは全く予想せずに、販売したのである。
すなわち、犯罪をしているという意識は「全く」なかった(第9回公判、被告人供述調書20ページ、同31ページ)。堂々と出版コードを取得して取次ぎを通して全国の書店に出荷していたし、また、公権力と戦うという意識もなく(第9回公判、被告人供述調書16ページ)、むしろ遵法精神に富んだ出版社だったと言える。さらには、18歳未満に販売しないように棚プレート(弁38号証)を自己負担で(弁39号証及び40号証)書店に配布し、本をビニールでかぶせるパッキングの資金も負担し(弁41号証)、本の背表紙には18歳未満を示す楕円形のマークを入れていた。
所謂裏ビデオ、裏本などのように、はじめから違法であることを重々承知で荒稼ぎのために販売するのとは全く違う、適法であろうあろうとする出版社だったのである。

5 漫画がわいせつたりうることの認識の欠如
被告人は、写真や映像と異なり、漫画の場合は「わいせつ」足りえないと信じていた。絵は性器そのものではなく性器らしきものにすぎないから、絵を見たとしても100人が100人性器だと分かるわけではなく(調書23ページ)、つまり絵と写真では人間が受ける性的な刺激の度合いが全く違う(被告人供述調書22ページ)という認識が非常に強かったからである。
これは、何も被告人独自の見解ではない。
例えば、証人藤本由香里は、性器や性器結合部分の描写について、「ある種の密着感」「お互いにある種柔らかい部分を交換しているときの密着感」「体温の温かさ」のような感覚を出す、蘇らせるために書かれていると証言し(第8回公判証人尋問調書12ページ)、専ら読者の性欲を刺激するためのツールとしての性器描写ではなく、「かかわり合いの象徴として性器が書かれているというふうに解釈」している(同調書13ページ)。そして、「密室」は、ポルノグラフィの中でも「非常に過激なシチュエーションというものを使って刺激を強めることで観念的に刺激していく」ものではなく、「ある種身体的な記憶・・をよみがえらせることでエロチックな気分にさせる」方に非常にウエイトがある作品であると証言している(同調書14ページ)。そして、「密室」は男性向けの書籍であるが、「男性は主に小説よりはコミック、コミックよりは写真、写真よりはAV」というふうに、実物に近くなるほど性的に刺激される度合いが強い」(同調書14ページ)。
また、証人斎藤環は、実写のポルノグラフィと「密室」のような漫画のポルノグラフィとでは、後者で「性欲を感ずることができる人口は非常に小さいものになる」とし(第7回公判調書証人尋問調書5ページ)、その理由を、実際の女性と描かれた絵を比較すると、「描かれた場合については相当特異な誇張」がなされ、「漫画を読むとかアニメを見るとかそういう習慣が全くなかった人がいきなりそういったものを見てそれに対して性欲を喚起する可能性は極めて低い」とする(同調書6ページ)。つまり、「密室」は「瞳、目が異常に大きく描かれる」「瞳と白目の縮尺についても、現実のものとはかなり異なっ」ており、「髪型についても、現実にはありえないような極端な髪型」となったりしている(同調書13ページ)。
園田寿証人も、漫画は性欲の興奮刺激の点で明らかに実写に劣ると明言している(第6回公判証人尋問調書7ページ)。
以上、漫画という表現の特殊性、実写物との違いからも、被告人が「わいせつ」と信じることがなかったことは全くもってやむをえないと言える。

6 出版業界での扱い
出版業界でも、コミックは違法なもの、「わいせつ」足りうるものとして扱われていなかった。
長嶋博文証人によれば、自らが会長を務める出版倫理懇話会では、編集倫理規定を設けており、「性器及びそれに類する部位に関しては、露骨な表現はこれを排し、又それらの部位は除去する」という規定を設けているが(第2回公判、証人尋問調書4ページ)、挿入部分や結合部分について「会としての考えというのは、具体的にはそういうのはない」。実際に自主規制にするか否かは個々の出版社の判断に委ねている(同6ページないし7ページ)し、商業誌について警告がなされた話を聞いたことはない(17ページ)。また、「密室」を見ても、「修正は施されている」「配慮はされている」と感じ(同8ページ)、「要するに、きちっと一応配慮はされている」(同13ページ)という証言をしている。
また、柏木祐紀証人も、わいせつ物とされる可能性については「分からない」(第2回公判、証人尋問調書8ページ)、と証言し、同じく安藤裕明証人も、取次ぎで「密室」のようなコミック誌の販売取次ぎの「内容的な基準はございません」「内容に対するチェック機能はございません」(第3回公判、証人尋問調書6ページ)と証言しており、その認識としては「明らかなわいせつ物というのは」「ない」のである(同8ページ)。
以上のとおり、性的メディアを出版している各社で構成される自主規制、相互意見交換機関である出版倫理懇話会の会長や取次ぎ会社の従業員であっても、わいせつかどうかの判断は難しいのである。被告人個人の独断、思い込みで「漫画はわいせつでない」という議論を打ち立てているわけではないことに十分留意されたい。


第4 まとめ

以上のとおりであり、被告人には十分に「蜜室」がわいせつでないと信じるにつき相当の理由があったものである。
刑法学者も、出版業界の人間も、「わいせつ」ではないと判断するような本件「蜜室」の販売行為につき故意を認めることは、まさに結果責任を負わせるのと同じである。裁判所においては、「黒い雪」事件における被告人、映倫の判断を信じて映画を上映したということ以上にやむをえない事情が揃っている本件における被告人の状況を是非ともご配慮いただきたい。


IV 結語

以上が、被告人及び弁護人の主張全てである。

本件は、21世紀において表現の自由の重要性を改めて問い直す極めて重要事件である。また、そもそも「わいせつ」とは何なのか、処罰根拠はあるのか、「わいせつ」の明確な判断基準はあるのか、アダルトコミック業界において「中庸」を心がけてきた被告人に故意が認められるのか、等様々の問題を含んでいる。
裁判所においては、これら被告人及び弁護人の問いに対し、是非とも正面から取り組まれ、判断されたい。

 



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※尚、このレポートはメモ及び記憶を元に作成されており、あくまで公判のイメージを伝えるためのものですので、多少の記述の食い違いは御容赦ください。
※転載は自由です。
※制作は児ポ法改悪阻止青環法粉砕実行委員会が行なっています。 また、制作に当たり匿名の方の協力をいただきました。



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